e学習プリント

≪相手の立場を思いやる心とは・・・・≫

朝の明るいあいさつで、「今日も1日元気にがんばろう」という明るい気持ちになります。みんなの前でがんばって発表したことやよかった行いに対する温かい拍手で、がんばってよかったという気持ちになります。給食で姿勢を正して「いただきます」「ごちそうさま」ということで、感謝の気持ちを表すことができます。授業の前後に「はじめます」「おわります」ということ、集会の前後でしっかり「礼」をすることで、集中できるけじめがつき集団が活性化します。使ったものは片付けること、汚したらきれいにすることで、マナーを守りみんなが気持ち良く生活ができます。このように、相手やまわりの人たちの気持ちを、明るくしたり、温かくしたり、うれしくしたり、やるきにしたり、気持ち良くしたりする言動をどんどんして、相手を思いやる集団にしていきたいと思います。



「気持ちを明るくする言葉」と「心を傷つける言葉」

先日、子どもたちから学校で悪口を言っている人がいるという話が耳に入りました。心配して状況を調べてみると、何人かの人が相手の気持ちを考えないで気軽に傷つける言葉を言ってしまっている状況が見えてきました。子どもたちの成長にとってこのようなことはよくあることです。そこで、子どもたちと一緒に言葉の与える影響について考えました。
相手に与える影響で、言葉は大きくの2つに分けることができます。一つは「ありがとう」「おかげさまで」「よかったよ」など、相手の気持ちを明るくする言葉。もう一つは「きもい」「うざい」「くさい」など相手の心を傷つけてしまう言葉。相手の気持ちを明るくする言葉は、温かい南風にちなんで「南風ことば」と言われています。それに対して、相手の心を傷つけてしまう言葉は、冷たい北風にちなんで「北風ことば」と言われています。
ところで、あなたはどちらの種類の言葉をよく知っていますか?この2種類の言葉を考えているときに、ふと考えさせられたことがあります。どういうわけか、人は言われて嫌だった言葉はたくさん思い出すことができます。その理由は、以前心が深く傷ついた傷が今も少し残っているからだと思います。しかし、言われてうれしい言葉は、自分も相手に言うように心がけていないとなかなか思い出すことができません。「○○さんのおかげで助かったよ。」などと相手に言われてうれしかった言葉は、他の相手に自分もまた使うことによって心に刻まれていくのだと思います。だから、「南風ことば」をたくさん知っている人は、心が優しい人になっていくと思います。
ところで、落書きで「死ね」とか書いてあるのを見た時、本当にいやな気持になります。同じように誰かが言っているのを聞いた時もそうです。そんな冷酷・非情で暗黒な社会(生活環境)を変えるためには、「南風ことば」をどんどん使って生活の至る所で見聞きする社会(生活環境)を築いていけば、みんなが明るく協力できると思います。「○○してくれて、ありがとう」このような言葉が、世の中をかけめぐり循環する社会を共に築いていきたいと願っています。

夢の実現と山登りの関係とは・・・
 以前に学校行事でいろいろな山に登った。へき地にある少人数の中学校だったので、若い教師が多く、管理職も若かった。地域には県境に有名な山があり、富士山に次ぐ高さの山が幾つかあった。自分も若いとはいえ、山に登ることに抵抗があった。1時間程かけて登る山でさえ、疲れてしまう有様だった。
 ある日、地域にある高い山「鳳凰三山」に登ろうという登山が学校で計画され実施となった。片道は、3時間ほどかかるという。1時間かけて峠までたどり着くまでに疲れてしまう自分は大丈夫だろうか。しかも、今度は生徒たちを引率するという責任もある。とても心配だった。しかし、当日の天気は大変よく、気持ちよく出発ができた。途中、苦しい上り坂もあったけど、みんなで励ましあい助け合って頂上に到着したときの喜びは最高だった。そして、山登りの辛さはすべて消えてしまうほどの感動を体験した。次の年には、さらに高い山に登る夏季登山となった。しかし、あの頂上で感動した体験が忘れられず、険しい上り坂が多かったが、頂上の天気も良く、景色は360度のパノラマ風景で、これもまた最高だった。最後の年には、地域で一番高い3000mを超える山に片道6時間かけて宿泊して帰ってくるという、夏季登山が計画された。この登山は、今までのものと違ってとても厳しかった。今までも確かにきつい上り坂はあったが、1・2時間もぶっ続けで登り続けるという急坂はなかった。途中、美しいお花畑もあったがゆっくり見ている余裕などなかった。しかし、こんな急坂を登りきり、断崖絶壁の崖を超え、頂上に立った時の気分はそれまで苦しかった分だけ逆に最高だった。
 さて、「夢をかなえる」ということは、「めざすべき山の頂上に立つ」ことと似ている。目標とする山の頂上に立つのを夢見て、人はがんばって努力する。途中、強風や雨、疲労、空腹のためにくじけそうになることもある。しかし、これらの困難を乗り越えることにより、自分に自信を持ち、生きる力がつき、人は強くなっていく。そして、頂上に立つという目標が叶ったときは苦労を乗り越えた分最高だ。それとともに、大きな成長を手に入れる。しかし、大切なのはここからかもしれない。頂上に登った人は、次に下山を考えるのが自然だ。では、夢を実現した人は次に何をするか・・・。山登りでは、次回に更に高い山をめざすこと。夢を追い続けることは永遠に終わらない。追い続けて努力する過程が、人を大きく成長させる。夢の実現は、その結果なのた゛。

我慢する後ろ姿から
先日デパートへ買物に行ったときのことである。ちょっと小腹が空いたのでパン屋さんのコーナーに行った時のことであった。パンを買うために待っていたとき、幼稚園生くらいの女の子がクレープ屋さんのところにいた。薄く焼いているクレープをじっと見つめている女の子。その子のすぐ横のテーブルで女の2人姉妹が椅子に座ってクレープをおいしそうに食べていた。その傍らには母親が立ち楽しそうに話しかけている。女の子は時折、関係ないというしぐさでその場から離れたが、またクレープ屋さんの近くに来てお姉さんがクレープを焼いているのをじっと見ている。そんな女の子の姿を見ていた父親が近付き、女の子に聞いた。「クレープ食べたい?」「・・・」女の子は黙っている。そして父親は「クレープ買おうか」というと、女の子の顔が明るくうれしそうに「うん」と言った。それから、2人のお兄ちゃんも近くに来て、楽しそうにクレープを選び注文した。そして、女の子は今度もクレープを焼くのをじっと見つめた。しかし、今度はさっきと違って自分が食べることのできるクレープだ。小さな体で精一杯背伸びして、焼けるのを今か今かと楽しみにじっと見つめている。クレープをお姉さんの手からもらった時の笑顔は、とてもうれしそうだった。母親は「以前は買物に行くたびによくお菓子が欲しい」と言っていたという。そんな女の子が大きく成長し、食べたいクレープを我慢しながら何も言わずに、じっとクレープを焼くのを見つめていた後ろ姿に、父親は心を打たれたようだ。

家族で食事することの大切さ
もう何年も前に亡くなった祖母と「食べること」について話したことがあった。その時祖母は「食事をしないで生活できたら楽なのに」と言っていたことを最近思い出した。俺もそれに対して同感だった。食べることをしなくて生きられるのだったら、食事作りや片付け、食べる時間を何か別のことに当てることができるだろうと考えていたからだ。今思えば、祖母の言った意味は俺の考えと違うものだったからかもしれない。あれから10年以上が経ち俺も家族ができ子どもも大きくなってきた今、食べることについて最近ふと立ち止まって考えることがある。「もし、食べることがなかったならば、俺たち家族は同じテーブルに着いて話しをすることが何回あるのだろうか?」・・・一緒にテレビを見ても、一緒にバドミントンをして遊んでも、同じテーブルに着いてお互いの顔を見ながら時間をかけて話をするような瞬間はないかもしれない。いや、ないだろう。そう考えるとみんなで食事をする時間は「かけがえのない時間」なのだ。もしかして家族にとってお金では買えない「一番大切な時間」。どんなに忙しくても、どんなに眠くてもみんなで一緒に食事をすることによって絆が深まり真の意味で支えあうことができるのだろう。

子ども同士の格差が大きくなっている現実
子ども同士の学力の格差が叫ばれています。学力のある子どもとない子どもの格差が段々と拡大している。塾に通っている子どもと通っていない子ども、学校での学習は塾で事前に学習しているという現実。だから、塾に行っている子どもにとっては、知っている内容の再確認となるが、塾に言っていない子どもにとっては初めて学習する未知の内容となる。体力の格差も拡大している。スポーツ少年団などで毎日のように運動している子どももいれば、1週間ほとんど運動しない子どもも多い。だから、走力に差がはっきり現れる。生活習慣の格差も拡大している。忘れ物をほとんどしない子どもといつもする子ども、注意されてすぐ直そうという子どもと何回注意されても反省できない子ども、決まりを守る子どもと決まりを守ろうとしない子ども。格差が学力だけでなく、多岐に渡ってきている現在、「個性」という言葉で黙認していたら、集団としての規律は乱れ、社会は不安定な犯罪化社会になってしまう。

「褒めて伸ばす学習」は、真の向上力を育成できない。
子どもを「褒めて伸ばそう」という教育が現在主流になっている。確かに良い点を認めて褒めることは、その子の能力を伸ばしていく上で必要なことである。しかし、現在学校現場で主流となっている「褒めて伸ばす教育」は幼児教育で行われている「褒めて育てる」を延長したものとなっている。褒めることがほとんどで、子どもにとって足りない点は目をつむって指摘しないからだ。以前の教育は「半分は良いところを褒め、残り半分は足りないところを指摘」していた。それによって、劣っている点を克服しながら、良い点を伸ばすという総合的に向上していく教育ができた。
このまま、現在のような褒める教育を進めていくことが続くならば、足りない点を改善しようとする教育姿勢は消え、他人に注意されたり人から欠点を指摘されたりする時に、素直に対応できず「逆ギレ」する人間が増えてしまう未来を危惧する。

冬芽から教えられたこと
冬芽(とうが)」、「(ふゆめ)」とも言います。夏から秋にかけて作られ,越冬する芽のことです。桜をはじめ、さくらんぼや桃など、春に花が咲く木には、葉の落ちてしまった冬の木のあちこちに小さな芽が見られます。この冬芽を半分に切って中を見てみると緑色したものが見られます。春が来るのをじっと待ち、いっせいに花開く時期を待っているのです。
 さて、進級・進学・就職などの節目となる季節が巡ってきます。その季節の前には、寒く厳しい冬があり人々はその冬を乗り越えなくてはなりません。この季節はわたし達に試練を課しているのかもしれません。冬芽のように厳しい環境の中で、大きく羽ばたくための準備をしなければ、次の時代飛び立つことはできないでしょう。いつの日か必ずやってくる飛躍の時に向けて、さあ今から準備を始めましょう。